群れないメリット? 1人で出かけたら9人と会話して帰ってきた話

ある日の出来事

休日に一人で外出しました。

これ自体はごく普通のことです。

で、一人ならば最悪誰とも口を利かずに用事を終え、家に帰ってくることもあるわけです。

けれどその日はいろんな人と言葉を交わす機会がありました。

・エレベーターその1 乗り合わせた人と
・エレベーターその2 乗り合わせた人と
・図書館の人と
・ランチに入ったお店の人と
・講座の講師&参加者と
・駅員さんと

と、合計9人の人と言葉のやりとりをして帰ってきました。

一応断っておくと、私はだれかれ構わず人に話しかけるタイプではありません。そして詐欺にひっかかるタイプでもありません(たぶんね)。

なのにその日はなぜか偶発的なものも含め、いろいろな言葉のやりとりがありました。

図書館、お店の人、駅員さん、講師の先生は「カウンターの向こう側」の人ですから、ほとんど業務の一環として、というより業務として返答してくれただけの話です。

それでも、「あれ? 今日はいろんな人と話をしたな」と思わず人数を数えてしまったわけです。

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みんなの共通項

振り返ると全員の共通項が見えました。

それはみな単独だったこと。

いわゆる「連れといた」人はゼロ。

友達・恋人・家族・団体といった複数でいる場合、なかなか他人との会話って生じないと思うのです。

2人以上のグループだと、そこの人達で世界が完結しているイメージが強くて他者の入り込む余地がなさそうでなんですよね。

たとえ何か話が出来たとしても、自分が去ったあとに「あの人さぁ」とその人達に「私という人間の感想の共有」を抱かれるのも避けたい。(これはほとんど被害妄想の域で考え過ぎだし、考えてどーするって感じですが)

ゆえに、単独行動のほうが互いに話しかけるハードルがグッと下がるのかなと。

話しかけないでオーラが消えた?

オーラなんてものが存在するのかはわかりませんが、ひょっとしたら自分のまとう空気が変化してきてるのかもしれん。

このブログを始めたあたりから「胸襟を開いていこう」と、すこしだけですが意識するようになりました。

本来の意味のように「本心を打ち明ける」そのものではなくて、その要素を薄めたもっとゆるいイメージですが。

過剰にガチガチとした自己防衛の状態からフラットな状態にするというか。

ツンケンしてたりイライラしている人には言葉はかけにくいと思うので、自分の意識したことが効果として出ているのかも?

毎日9人の知らない人と話したら

例えば一週間、毎日9人の新しいひとと会話をしたら、9人×7日=63人。

これが一年ならば、9人×365日=3,285人。 すごい人数ですね。

接客業をされている方など、これの何十倍、何百倍だったりするのでしょう。

今回、たまたま言葉を交わした9人の人とは、おそらくこの先一生お会いすることはないと思います。互いに顔なんて覚えていないでしょうし。

まぁ、それはそれで良いのです。というか、むしろ忘れてオッケー。

特別なことではないのかもしれませんが、なんだか不思議な日だなと思ったので考察してみました。

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まとめ

・単独行動の方が人との接点がうまれやすい
・少しの意識から、変化することがある

長く続く関係だけが意味があるわけではなく、その場の、その場だけの「ポイント」として会話があるってのも悪いモノではないなと。

これがメリットと思うかどうかはそれぞれだと思います。事務的な会話すら煩わしいという気持ちのときは当てはまりませんし、世の中善人だけとも限りません。

でもまぁ、日本だけでも1億人以上いますので、大事な出会いに繋がるパターンもあるかもですね。

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