【映画】橋爪功さんて良い役者さんですね【家族はつらいよ2】

映画「家族はつらいよ2」を観ました

山田洋次監督といえば「男はつらいよ」。シリーズ合計何作品あるのでしょうか。はじめから最後までちゃんと観たことは1回あったような、ないような。

バスツアーに参加した際、あとは帰るだけだと参加者が疲れてまどろんでいるときに車内で流される映画ナンバーワンのイメージです。

大概のバスツアーがチョイスする作品なので、年配の方には好評なのでしょう。

なんとなく食わず嫌いでそのまま来てしまいました。

そんななか、「家族はつらいよ」を以前劇場でみて、今回はその続編をWOWOWで観たのでその感想です。


以下ネタバレあります。

「家族はつらいよ」は1も2も観やすい

一作品目は何年も前に観たので、ぼんやりとしか覚えてないのですが、前作今作ともに過度な悲劇も喜劇もないので、肩に力が入ることなく観やすかったです。

主人公の平田周造(橋爪功)平田富子(吉行和子)夫婦と、その3人の子供が築いた各家庭の計4組の夫婦が織りなす出来事が描かれています。

今回は、高齢者となった周造の運転免許証を返納させるかどうか、から物語がはじまります。

(これって現実問題として、難しいんですよね。自主的に返納してくれるのと、他者が返納をうながすのでは違いがあって、特に田舎だと車は必需品です。家族が返納させたが為に、その後、すっかり元気をなくしてしまったおじいさんの話も耳にしたことがあります)

その免許騒動のなか、旧友と再会。しかしその旧友が…。とストーリーは展開していきます。

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みんないろんなことを考えたりしている

時々大人っぽい子供と、時々子供っぽい大人の描写があったりして、そうだよなぁ、大人だから常に高尚でも立派なわけでもなく、子供だからといって常に子供っぽいわけではなく、意外と冷静に世の中をみていたりするよなぁと、その塩梅を楽しく観れました。

どのドラマや映画にもいえることですが、創作された家族像はあくまでその世界のもので。実際の家族はどれひとつとして同じものはないはずだけれど、無意識にそれら映像の家族をなぞり基準にしてしまう人も少なからずいるのではないかと思うことがあります。

そういった意味ではこの作品は、身近な問題を抱えたり考えたりしながら、それでも日常は過ぎていき、小さな可笑し味や切なさと生きているさまが描かれているので、「無理に背伸びすることはないな」と思うことができます。

でも、一般的にみて周造一家は恵まれた一族でもあることは確かですけどね。

思わず歌ってしまう「生涯のうた」の有無

周造の旧友である丸太と再会し酒を酌み交わすシーン。昔を思い出し、その頃の歌を歌い出します。

 

校歌、応援歌、社歌、軍歌。

強烈な体験を他の誰かと共有した人ほど、心にのこる「〇〇歌」を持っているのでしょう。

愛校心のあるひとは校歌を。
汗水ながしてスポーツに没頭したひとは応援歌を。
愛社精神のあるひとは社歌を。
国の為に戦ったひとは軍歌を。

ううむ。自分に照らし合わせてみると、ひとっつもありません。これのあるなしで、その人の生き方の尺度がひとつ測れてしまいそうですね。

小中学校は、やたらと校歌を歌わされましたが、クドイほどの練習に「音楽教師の自己満足なのではないか」とゲッソリしたり、「そんなに合唱を磨いてどうするのだろう」と疑問に思ったり。

卒業した学校は自分の歴史の一部とはいえ、後生大事にするものではなく。

旧友と再会してお酒が入ったら思わず肩を組んで、歌ってしまう。なんて皆無であります。

なにかに頑張った人ほど「うた」を持っているのではないかと思うと、あれれ? 自分てどうなの? と少しだけわが身を顧みてしまいました。

〇〇さんといったら〇〇、ってものがありますか?

丸太の大好物である銀杏。

これが最後に活きてくるのですが(あそこに入れられる物って、結構制約があったと思うのですが映画的にオッケーなのか、あれぐらいだったら燃えてしまうから問題ないのかな)、ああいった「あいつはこれが好きだったな」とみなの印象に残るぐらいの好物ってあるのだろうか? と、これまた自問してみると、なんにもナイ。

今からでも無性に好きな食べ物って出来たりするのだろうか。

芸人の起用はノイズになるかスパイスになるか微妙だ

劇団ひとりさんが刑事役として登場しますが、出演シーンでは「劇団ひとりだぁ」と常に脳内にチラつきノイズとなってしまったのが残念でした。

役者の人だったら引っかかることなくスムーズに鑑賞できたと思うのですが、そう考えると「あえての引っかかり」を監督は観客に与えたかったのかなと思ったり。

逆に火葬場作業員の鶴瓶さんは「まったく、このひとはこういうのにピッタリだな」とクスっとできたので、芸人の起用がノイズになるかスパイスになるかは鑑賞者の感覚によるところがおおきいのでしょうか。

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自分はどれだけ見送り、見送られるのか

自分も含め、まわりの人間がこの世を去るのは、まだ先のことだと思っているけれど、友達とか同世代がいなくなるのは寂しいだろうな。

かといって、置いて行かれる寂しさよりは、お先に! と「一番のり」したいとも思いません。生命の誕生が授かりものだとしたら、死もまた授かりものかもしれません。

そう考えると、仮に自分が一番長い生きをして、まわりの人間たちがいなくなったとしても、命ある限り、世の中の変化をこの目で見届けてみるのもいいかもしれない。なんて厚かましいですかね。

健康とかお金とか孤独とか、課題をあげてしまうとキリがありませんが。

 

シリーズ三作目となる「妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII」が5月25日に公開なので、いまから楽しみです。

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