【作家の世界も?】面倒をかけない人ほど印象に残らないってホントよね

「作家という病」校條 剛(めんじょう つよし)著を読みました

「小説新潮」の編集長等を務めていた校條剛さんが、過去にたずさわった作家たちとのエピソードを収めた、講談社現代新書の本です。

全部で21人の作家が取り上げられていますが、当方不勉強なこともあり、存じ上げないかたも数名、いや半分以上おられます。

本作では、「この名前聞いたことがないな」と首を傾げるような作家の名前もあるかもしれない。

と、まえがきに書かれているので、むしろこの21名の作家全員を知っている人のほうが珍しいのではないかと思います。ご活躍されていたのは、携帯電話がここまで普及していない時代の方たちなので世代的に知らなくても不思議はありません。

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作家の世界よ、おまえもか

一番印象に残った 作家吉村昭の章

話のメインではないのですが、この部分が一番記憶に残りました。

余談だが、吉村は、決して朴念仁ではない。辛口の冗談は得意だった。

たとえば、吉村の原稿書きの流儀は、締め切りの少なくとも半年前には第一稿を完成させているというのがある。

吉村は、その流儀に関して、よくぼやいていた。
「編集者たちからは、バカと思われているんですよ」

もちろんそうは思っていないが、確かに早く入った原稿には感謝はするものの、苦労が少なかった分、印象が弱くなる。一冊の雑誌の作業がすべて終わった時点で、一番働いたと皆が評価する編集者は、最後の最後まで原稿取りに苦労した編集者である。

吉村と同時代の作家では、松本清張や井上ひさしの担当者が一番仕事をしたというような大きな顔が出来るのだ。これって、本来はおかしなことだろう。一番迷惑をかけていない作家が損をしているようで、吉村流にそういう表現をしたのである。

朴念仁って使ったことないな

さきに「朴念仁」を片づけましょう。これ「ぼくねんじん」と読みます。無口で愛想のない人・ものわかりの悪い人のことを指し、「仁」は「人」で人の意、だそうです。

わが人生で使った事がありません。そしてこの先も出会うことはあまりない言葉と思われます。

嫌味や皮肉をこめて使うものだとしたら、そうそう面と向かって使う言葉ではないでしょうし、陰で言うにしても対象者がいません。

さて本題

「一番働いたと皆が評価する編集者は、最後の最後まで原稿取りに苦労した編集者である」

あぁ、この世界もそうなのか、と。

あなたがかつて過ごした学校でも、問題をおこさず真面目にふつうに過ごした生徒はさして印象が残らず、「やんちゃ」をしていた生徒の方に教員の関心があつまり、その後も記憶に残り続ける、といったことがあるのではないでしょうか。(許容範囲を超えた「やんちゃ」はまた別問題です)

これと先の作家のくだりがまったく一緒とは言えませんが、なんとなく通ずるものがあるなぁと。

『 一番迷惑をかけていない作家 = 一番教員の手をわずらわせない生徒(達) 』

こそ、管理する側にとっては都合がよいのに、評価が高いかというとそうではない。

「そういう現象」はどこも同じなのだなと思ったわけです。

そのことに対する不満というよりは、「人を測る定規はひとつではない」し、理屈ではないものがあるのだろうな、とあらためて感じたのであります。

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作家とは、かくも難儀な職業だ

作家であるということは、ある恍惚感を伴う。そうでなければ、一字ずつ文字を刻んでゆく地味で厳しい仕事を続けていけるわけがない。その恍惚感がまた次の作業の原動力となり、作家であり続けるために、自然と自らに常人の感覚から外れた習慣や義務を課すことになる。作家という職業がもたらした特殊な習慣や傾向、それを、「作家という病」と名づけてみよう。作家であることの「業(ごう)」と呼んでもいい。

「まえがき」より

「ふつう」では書けないのかも

「作家」という言葉が放つ、威光と威力があります。

「作家で食べていける作家たち」は作家で有り続けるために、どれだけのエネルギーを要するのでしょう。

創作は苦しいものです。それを生業とする作家という職業を選ぶのだから、その性質たるや常人であろうはずがなく。

「取りつかれる才能」がある人のみ、なれる職のひとつだと思っています。

ほんのちょっとだけどブログも、ね

作家とブロガーと並べて語るのははなはだ失礼だと思いますが、ブログを書き始めると「ブログに書くための行動」が少なからず出てきます。

記事を書き上げれば、たった1000文字であろうとも達成感は得られます。

恍惚感には遠く及びませんが、これは身を削るレベルが違うので当然です。そもそも背負っているものも違い過ぎますから。

いままでの作家像とこれからの作家像

本書のなかには、大御所の大盤振る舞いや、ハチャメチャぶり。その他の作家の豪傑、愛嬌、偏屈、誤解、無理難題、失踪、苦悩とさまざまなエピソードがあふれています。

これらに感じるのは古き良き時代、ざっくりいうと「昭和っぽい」イメージです。(実際には平成もまたいでいますが)

本以外の娯楽も増え、「良識」と「常識」が幅を利かせる時代です。作家に求められるものは、今後変わっていくでしょう。

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